しかも原文に拠ればとかくに堅苦しい漢文調に陥るの弊あり、平明通俗を望めば原文に遠ざかるの
憾みあり、その調和がなかなかむずかしい。
たゞ、人物の心理的発展がやゝ機械的で、しかも、その機械的なことが割合に喜劇的効果を助けてゐない
憾みがある。
この点で新国劇は、やや作者の存在を忘れてゐる
憾みがある。
なぜ面白くないかといふ理由を、種々挙げてゐるのを見ると、どれも、その根本をついてゐない
憾みがある。
私は、たゞ此の機会に、日本新劇界の大先輩に対し、その生前に於て、聊か礼を失した
憾みがあることを、深く謝する次第です。
然し、そのファンテジイは、ミュッセの戯曲に盛られてあるそれらの如く、劇的本質と結びついてゐない
憾みがある。
その死後私は遺作の數々を讀まして貰つて、生前會つておくべき人に會はずにしまつたといふ
憾みを覺えることが深い。
予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡※變じ、文致の畫一なり難きを
憾み、又筆を擱くことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。