古来山姥此の穴に住し、諸器物の
所蔵豊かなりしかば、石城神社祭典の際には、毎歳祭典の器具を山姥より借り受くるを例としたり。
私は例の仮面の由来に就て種々考えてみましたが、前にもいう通り、頼家
所蔵の舞楽の面というの他には、取止めた鑑定も付きません。
一度は彼も
所蔵したことのある本であるが、出征中戦火でキレイに蔵書を焼き払ってしまった。
昨年の夏だったか、京都の関係者が寄り合って友禅祭を催し、その
所蔵品を持ち寄って一堂に陳列した事があった。
そしてとても仕切れないほどの
所蔵品の手入れを命じたり、観賞するためにあれこれと蔵から出し入れさせられて煩さかつた。
現に予が
所蔵の古写本の如きは、流布本と内容を異にする個所が多少ある。
ですから、こんな機会に発見するのは知れた数なのですが、そんなことになって方々持ち回られたり、また
所蔵されたりしているのが、幾らあるか分りません。
最初の頁にある
所蔵印を見ると、嘗は石川一口の蔵書だつたらしい。
これは予が嘗て三田文学誌上に掲載した「奉教人の死」と同じく、予が
所蔵の切支丹版「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤色を加へたものである。