そこで東屋
所長とわたしと三田村技手の三人は、老看守の後につづいて、うす暗い階段室に入った。
とにかく風間光技は、日毎夜毎の悒鬱を払うには丁度いい機会だと思ったので、早速老
所長の命令に従って、自分の力を借りたいという帆村荘六の事務所へでかけたのだった。
モール博士というのは、このベルギー国のモール科学研究所の
所長で、私もハンスも、この門下生だった。
所長平木曾根が、十倉奥造と、その娘汲子を案内してはいつて来る。
というのは、土田の令兄がS金山の鉱業
所長をしていて、土田も北海道へ行くなら其処へ行けと私にすすめていたからだった。
余は当時大阪衛生試験
所長兼造幣局技師たりし村橋次郎先生に就きて毎週一回講学上の疑を質し実験上にも指導を蒙りたること少からず。