昔から名高い美人や
才子はたいてい地獄へ行っています。
私は本多子爵が、今でこそ交際嫌いで通っているが、その頃は洋行帰りの
才子として、官界のみならず民間にも、しばしば声名を謳われたと云う噂の端も聞いていた。
書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの
才子だったらしい。
豈図らんや造物の脚色は、綺語の奇より奇にして、狂言の妙より妙に、
才子の才も敵する能わざるの巧緻あり、妄人の妄も及ぶ可からざるの警抜あらんとは。
のみならず彼の瓢箪を目当てに彼の南画を習つてゐた年少の
才子もない訣ではなかつた。
友だち同志なれど、山陽の
才子ぶりたるは、竹田より遙に品下れり。
「十で神童、十五で
才子、二十過ぎれば並の人、といふこともあるから、子供の時に悧巧でも大人になつて馬鹿にならないとは限らない。
それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた
才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になつてしまつたのです。