膚の白さも雪なれば、瞳も露の涼しい中にも、
拳って座中の明星と称えられた村井紫玉が、
人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい
拳を振り上げて争う様子をみせることがある。
これを読まされると、自分はもう堪らなくなる、ふと目を挙げて「北に遠ざかりて雪白き山あり……」……、往きたいなあと、
拳に力を入れて、机をトンと叩いた。
と呟きざま、躍りかかりてハタと打ちし、
拳はいたづらに土によごれぬ。
幕の間から、お揃いの手拭を、吉原かぶりにしたり、米屋かぶりにしたりした人たちが「一本、二本」と
拳をうっているのが見える。
その大きな
拳で、わしの頤をつきあげようというのだろう。
全世界に於て、プロレタリアートが、両手を合わすことをやめて、それを
拳に握り締めだした。