この船長は大東亜戦争の始つた日、上海沖でアメリカ商船を見つけ、無装備の商船ながら之を追跡、体当りの意気込みで、とうとう之を
拿捕したといふ武勇をもつた人である。
千七百八十九年の抑々の初めから革命終って
拿破烈翁に統一せられた果が、竟にウワータールーの敗北(千八百十五年)に到るまでを数えても二十六年である。
湾に沿へる
拿破里の市は次第に暮色微茫の中に没せり。
昨日の新聞に米船ハリソン号を浅瀬に追いつめて
拿捕に協力したと輝かしい偉勲を伝えられている長崎丸、私が長崎から乗った往路は多分その長崎丸であったろう。
今や往年の
拿翁なしと雖、武器の進歩日々に新にして、他の
拿翁指呼の中に作り得べし、以て全欧を猛炎に委する事、易々たり。
歴山王、
拿翁、シイザル、之を英雄と称し豪傑と呼ぶ、英雄は即ち英雄、豪傑は即ち豪傑、然れども胸中の理想に立入りて之を分析すれば、片々たる蝸牛角上の傲児のみ。
シイザルの勝利、
拿翁の勝利、指を屈すれば幾十年に過ぎず、これも亦た蝴蝶の夢か。