しかるに娘がその手をきつく握り返したから、軽犯罪法のお世話に相成るべき不審の
挙動が天下晴れての快挙と相成り、福は禍の門と云うが如くに禍根を残すこととなった。
危いから、これこれの人を頼って行けと握り飯を持たせてやったが、この男は立ち去るまで
挙動は尋常で、食事なども静かに充分に食べて、夜も熟睡していたぜ。
それだけにまた娘の、世馴れて、人見知りをしない様子は、以下の
挙動で追々に知れようと思う。
其不義惨酷、往古ノ夷狄ト雖ドモ為ザル所ニテ、豈文明ノ世ニ出テ人ノ上ニ立ツ者ノ
挙動ナランヤ。
父好次の下に帰ったのが寛永十四年、年漸く十六であったが、英敏の資に加うるに容資典雅にして
挙動処女の如くであった。
が、その間に朋輩は吉助の
挙動に何となく不審な所のあるのを嗅ぎつけた。
その当夜、自宅の仏事に時光寺の住職を招いたという根岸の伊賀屋嘉右衛門も吟味をうけたが、伊賀屋でも当夜の住職の
挙動について別に怪しい点を認めなかったと答えた。
而して余は此の間に立ちて当時警官の
挙動に甚だ不穏不当の事実多きを聞取するを悲む、左に少しく之を記述せん。
家に帰らば世の人々にも告げて、君が情け深き
挙動言い広め、文にも書きとめて後の世の人にも君が名歌わさばやと先の旅客言いたしぬ。
以上は母が今わの際の遺言と心得候て必ず必ず女々しき
挙動あるべからず候