他の短編には、何んだか「収穫」と題する一篇には、
挿画の描き様がない。
私は、当日、小作の
挿画のために、場所の実写を誂えるのに同行して、麻布我善坊から、狸穴辺——化けるのかと、すぐまたおなかまから苦情が出そうである。
で、背くぐみに両膝を抱いて、動悸を圧え、潰された蜘蛛のごとくビルジングの壁際に踞んだ処は、やすものの、探偵小説の
挿画に似て、われながら、浅ましく、情ない。
第一頁から奥附まで、四度刷に出来るのだから、色刷の
挿画を毎頁にだつて入れることが出来るのである。
面白いのは銅版画の
挿画に、どれも支那人が描いてある事である。