おかげで明治三十七年二月の『太陽』に
掲載せられたのはいいが、どうしたものか、博文館から原稿料を送ってよこさない。
霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に
掲載せるものである。
そうして半は、自分たちが経営している雑誌「新思潮」に、一度
掲載されたものである。
また昨年一月に「自由主義」と題して五、六日間
掲載せしものも読者中あるいはこれを出版せよと恵告せし人あり。
私はその一部分書き写して「左の一文を解釈せよ」といふやうなことで薄謝を呈することにして何処かの雑誌に
掲載するつもりであつた。
これは予が嘗て三田文学誌上に
掲載した「奉教人の死」と同じく、予が所蔵の切支丹版「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤色を加へたものである。
時事日報に
掲載せられし海戦の実験談てふもの比較的明細にして海戦の詳説とも見るべければ茲に下に掲ぐ
僕、一席の演説を依囑せられ、その原稿を書いて居ると、この樣に長くなつてしまつたので、雜誌に
掲載することも出來ず、止むを得ず一册として出版さすことにした。
デジタル化にあたり、『尾崎放哉句集』(彌生書房)『尾崎放哉全句集』(春秋社)を底本とし、表記が異なるものは双方を
掲載した。