しかしこういうものよりも、もっと必要と感ずるのは、帝国館などで紹介している「ユニバーサル週報」の如く、外国の最近の出来事を
撮影紹介するものである。
去年東京帝大の仏文科を卒業し、京都のJO
撮影所の脚本家となつた三宅といふ人がゐた。
翌朝早速京宝
撮影所へ電話をかけ、三宅君にサボつてもらふことにした。
ところが彼は奇襲作戦によって、突如として私の自宅を襲い、物も言わず助手と共に
撮影の用意をはじめ、呆気にとられている私に、
いわんやロケーションにでて日夜飲食にふけり、まれにしか
撮影をやらず、やったと思えば、お時間です、とくる。
それがすむと、ほかの社のカメラが、同じ美女をつれ去って、外の男と並べて、あゝしろ、こうしろ、
撮影する。
海中に墜落しているのじゃないかと紫外線写真器でありとあらゆる洋上で
撮影をやってみたのだが、矢張り駄目だったというのでしたね」
映画
撮影を見物しているわけでもあるまいし、この暴行を眼の前に見ながら、知らん顔をしているのであった。
北庭筑波が
撮影した写真を見ると、北畠ドクトルは英吉利風の頬髯を蓄へた、容貌魁偉な紳士である。