たのまれて義戦を起すことはあっても、好んで人を
攻めたことはまだなかった。
秀吉が小田原の北条氏を
攻めたとき、石垣山の頂上へ家康を案内して眼下に霞む関東平野を指し、
しかし、浅井が出でて戦わぬので、引き上げて姉川を渡り、その左岸にある横山城を
攻めた。
信長、守山に在る叔父孫三郎信光と共に、機先を制して天文二十一年八月十六日、那古野に出で三方より清須城を
攻めた。
そして津島はまだ会ったことがないのだが、行って二人で
攻めたら大抵承知するだろうと言うので、すぐ久野のいる追分の素人下宿へ行った。