それは私が孫逸仙に対して、尊
敬と親愛とを持っているからである。
只、その間、首くくりの力學には、始め滑稽を感じ、後學校で本物の力學を勉強するやうになつて畏
敬と化した。
要之私と節子との夫婦生活は愛と
敬とに終始したが、晩香とは愛の一筋であった。
師の尾崎紅葉先生に対しても、全く神様と同様に絶対の尊
敬と服従で奉仕されたそうで、三十年来、お宅の床の間には紅葉先生の写真を飾ってお供物を欠かされませんでした。
どんなに彼が、美しい妻と一粒種の子供を愛していたか、それは女生徒達の、弥次気分も通り越した尊
敬と羨望に現わされていた。
そこでたゞ期待し得ることは、国語の諸科目を通じて第一に「言葉」に対する愛と尊
敬とをもつやうに導くことであります。
普通なら、やはりほんたうの気持を、人間同士の尊
敬と愛情とを自然に示しあふ方がうれしいのである。
虫けら一疋でも自信を以て自分の爲めに犧牲にする事の出來た人を彼れは同情と尊
敬とを以て思ひやつた。
此から考へると、子に對して親しみと尊
敬とを持つて呼ぶ、まれ系統の語であつたのが、固有名詞化したものであることが考へられる。
尊
敬と、その中に自然に恐れているような気がするのです。