だがたいていは、呪詞諷唱者・叙事詩伝誦者らの常識が、そうした語句の周囲や
文法を変化させて辻褄を合せている。
それに対して批判を加へるのが我々文学者の義務ではないか、役人のつくつた天下りの新
文法に盲従しなければならないといふアナタの考へが妙ではないか。
この千幾年来の闖入者が、どれだけ国語の自然的発達を妨げたかといふことは、実際
文法家・国語学者の概算以上である。
その上に言つてよい事は、全体として、「かに」よりは、「べく」の方が、近代的な感触を持たせた発想法であり、
文法でもあつたと言ふ点である。
だが大抵は、呪詞諷唱者・叙事詩伝誦者らの常識が、さうした語句の周囲や
文法を変化させて辻褄を合せて居る。
生ひば生ふるかにの「生ひば」は、自動詞「生ふ」の目的で、現代の言語情調には、這入りきらぬ
文法感である。
大槻文彦氏なども、常に先生の國
文法に精通せらるることを推奬して居られたとか聞いたことがある。