終戦後神奈川県庁地下室で
時計屋をしている兄の所で昨年八月まで手伝していましたが十一月に長女が生まれ私の実家(横須賀市)で一緒に暮していました。
時計屋の一件は、初耳ですが、盗難に罹つた者があるのは、僕たちも知つてゐました。
時計も金も一つになつて、奈良島と云ふ信号兵の帽子の箱の中に、あつたのです。
庄屋の家柄の左東左平は、前から
時計屋敷のことを心の中にきざみつけていた。
枕もとに置いた
時計の針が、十二時近くなったのを見ると、彼はすぐにメリヤスの襯衣へ、太い腕を通し始めた。
俊助はちょいと顔をしかめながら、無造作に
時計をポッケットへ返すと、徐に逞しい体を起して、机の上にちらかっていた色鉛筆やナイフを片づけ出した。
時計屋へ直しに遣つてあつた八角形の柱
時計が復た部屋の柱の上に掛つて、元のやうに音がし出した。
慶応贔屓で、試合の仲継放送があると、わざわざ隣村の
時計屋の前まで、自転車できゝに出かけた。
やや小半時もそうしたままでいると、帳場でぼんぼん
時計が九時を打った。