この二人の漫才、まず大前提として「ツッコミ」という名の
暴力が伴わない。
この時はCoDの時のような
暴力的なストレスはあまりなく、ゲーム的な面白さもとても感じていました。
仕方ないので、前に購入して冷蔵庫でしおしおになってきていたグレープフルーツを取り出して、仕事をしながら食べたりしたけど、まるで
暴力みたいにお腹が空く…。
あんな薄暗いタワーマンションを出て、暗い車内で話した後、コンビニの店内はほとんど
暴力的な明るさだった。
保育園でだって、幼稚園でだって、大人の世界でだって、そして、家庭でだって「弱者」(と認識されたひと)への暴言、
暴力はある。
むしろ「笑いや馬鹿馬鹿しさの
暴力性が今後どのように捉えられていくのか?」を考え観察し続けていくことも、”面白い”の枠内にある行為だと捉えている。
精神的・肉体的
暴力と、それによって心を支配されること。
この物語はわかる人にはとても分かる一方、わからない人にはただの
暴力に見える可能性もあるので、酷評もあるでしょう。