舳の向き加減で時たまさし
替る光りを、蝙蝠傘に調節してよけながら、玄海の空にまつ直に昇る船の煙に、目を凝してゐた。
親王の日記には、彼の名前も見え、慶応三年九月十三日の項には、「幕府の辣腕家、原市之進に
替るべきものは近藤である。
さうして次第に、其本歌なる長篇にとつて
替る歩みが目だつて来た。
「まだ話があるけれども、実は僕の妻が君に逢いたいそうで待っているから、
替る」というので、振切るようにして友達の霊は無くなりまして、今度は細君が出て来た。
菊池や久米も
替る替る僕の座に来て坐つて見ては、「うん、見えるね」などと言ひ合つていた。