そうはいえ私は父から受け継いだのか、多く見、多く聞き、多く
楽しむという性格に恵まれて、江戸の事も比較的多く見聞きし得たのである。
感想家、大読書家は当然ひとり
楽しむ世界だから、これ又、一人一党、ただ自らの感想があるべきのみで、党派的読書家などというものは有り得ない。
太く短く
楽しむのか、細く長く
楽しむのか、それとも又た夫婦間に衝突のある生活なのか、俄かに決定することの出来ない問題である。
それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に
楽しむとでも申しさうな、大腹中の御器量がございました。
所詮下手は下手なりに句作そのものを
楽しむより外に安住する所はないと見える。
私は、さういふ楽しさを子供の時分から
楽しむ傾向があつた。
また僕は君が一度こんなことを言ったのを覚えているが、そういう空想を
楽しむ気持も今の君にはないのかい。
否、人生の
楽しむ可き処は、そのプロセスに有るのだ。
われは花なき邦に生れて富める人とならんよりも、花ある邦に生れて貧しき世を送らん事を
楽しむ。
ほぼ一と月もするうちに、単調なこの世界の生活の中にあって、太田は、いつしか音の世界を
楽しむことを知るようになった。