歳子の兄の曾我弥一郎と、歳子の婚約者の静間勇吉とは
橋梁と建築との専門の違ひはあるが、同じ大学の工科の出身で、永らく欧洲に留学してゐた。
この石を
橋梁用に下さうと曽て掘り倒した翌朝、もとのやうに立つてゐたので、村民が恐れをなした、など口碑がある。
——先生は、日頃から、この意味に於て、自ら東西両洋の間に横はる
橋梁にならうと思つてゐる。
その意味において書物とは、人間と人間との心の
橋梁であり、人間共働の記念塔である。
自分が前に推賞した
橋梁と天主閣とは二つながら過去の産物である。