われら頃日二、三の仏教史論を読み、その公平の見を欠くを
歎じ、一言以て仏教史家といふものに贈る。
この山田氏の痛撃の後に仮名遣改定案を罵らむと欲す、誰か又蒸気ポンプの至れる後、龍吐水を持ち出すの
歎なきを得むや。
狂女は「げにや人の親の心は」と徐ろに
歎きを伝へ出した。
使 (つまらなそうに)
歎き死が出来れば仕合せです。
熊谷伊豆守の娘が醜婦で、誰も結婚する人が無いと聞き、其の父の武勇にめでて、「其の娘の為めにさぞや
歎くらん。
かつや人の常情、敗れたる者は天の命を称して
歎じ、成れる者は己の力を説きて誇る。
その時或人はかくばかり自然が美しく荘厳であるのにどうして人間はかくばかり醜く卑劣なのだと
歎じ、そこに人類の救ひ得べからざる堕落を痛感するだらう。
北の方や御子様たちは、さぞかし御
歎きなすつたらう。
殊に幼い須世理姫が、しつきりなく
歎き悲しむ声には、宮の外を通るものさえ、涙を落さずにはゐられなかつた。
のみならず母も半年ほどの内に、返らない
歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。