○十月二十二日、六代目市川団蔵、大阪に
死す、七十二歳。
そこで問題となるのは、「男子志を立てゝ郷関を出づ、学若し成るなくんば
死すとも還らず」といふ有名な詩についてであります。
爾は
死すべければなり」と云う章を指さして居ります。
かのロマンチシズムの恍洋たる波に揺られて、年若くして死んだ、キイツ、シェリー、透谷、樗牛、其の詩人等を惜しみ、人間は、若く、美しい時分に
死すべきものだ。
彼等は富貴の尊ぶべきを知らず、彼等は官爵の拝すべきを解せず、彼等は唯、馬首一度敵を指せば、
死すとも亦退くべからざるを知るのみ。
九月十九日——「朝、空曇り風
死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なお目さめぬがごとし」
孔子また言わずや、朝に道を聞かば夕べに
死すとも可なりと。