作者の名が考えられないということは、芸術を生む
母胎としてはこの上もない清浄な
母胎でしょう。
小説の
母胎は、我々の如何ともなしがたい喜劇悲劇をもつて永劫に貫かれた宿命の奥底にあるのだ。
農村は祖先伝来の土そのものを
母胎とし、土そのものに連綿伝来の血が通つてゐるのは農村の性格ではあるけれども、伝統と排他性とを混乱せしめてはならぬ。
新撰組の
母胎とも云ふべき、幕府が新に徴募した浪士団が家茂将軍警護の名目で、江戸を出発したのは、文久三年の二月八日であつた。
現代日本の文化創造はそれ自体として、他の諸民族の上に長く光被して、真に世界的文化の
母胎となると言ふことが理想だと信じます。
この意味でわれわれは、当面の生活秩序を一日も早く整へ、世界文化の
母胎たる新国民文化を創り上げるために、永遠の計をめぐらさなければなりません。
否寧ろ、戯曲の舞台的生命は、ある種の文学的生命を
母胎とし、そこからのみ生れるものと信じてゐるらしい。
(それは
母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼をした仏陀よりもはるかに手よりのないものである。