私共の一部の間では、若し許して戴くことが出来れば、
民俗と言ふ言葉を註釈する為に「前代の知識」と言ふ言葉を使つても良いと考へてをります。
かう言つた宮廷と、里方との交渉は、首里の芸能と、地方の
民俗芸術との間に、相互作用を容易ならしめたのである。
かやうに田遊びは、一方
民俗芸術化して、田楽と言ふものになつたが、而も此二つが、並んで行はれた。
小寺融吉さんは雑誌「
民俗芸術」昭和四年二月号で、能楽の根本は脇能にある、と述べてをられるが、此には訣があるのである。
我が国の桃には、実りの多い処から出たといふ「百」からする説明もあるが、此はやはり、多産力の方面から見れば、此
民俗の起原の説明にはなるだらう。
いわゆる文化
民俗の発達史が跨がっている一万年足らずの間における進歩はもちろん有史以前のそれに比べてははるかに著しいものにちがいない。
私は日本の
民俗の上からお話を申し上げたいと思つてゐます。
私は、
民俗藝術は、藝術でない所に意義があるのだと考へて來た。
ただ彼は國文學者であると同時に、
民俗學者であるから、歌風も自らその色彩を帶び、人情の機微、人事の複雜を詠ずるを以て得意としてゐる。
うらわかき想像は長き眠りより覺めて、
民俗の言葉を飾れり。