その道の鬼、むしろ、勝負の鬼という、一匹の虫を踏みつぶすにも、すさまじい
気魄にみちたものであった。
赤人の個性を出す事が出来た時は、既に其以前に示して居た伝統の風姿や、
気魄を失うてゐた。
もつと遠慮なくいえば芭蕉以後、芭蕉に肉迫せんとする
気魄を見た。
そこに新時代的な
気魄が見えないことはないが、たゞ徒らに悲壮な身構へをするひとつの好みは、伝統的なものであるやうに感じられる。
土田の令兄は、いかにも一山を背負っている
気魄が眉宇の間にもうかがえるといった人だった。
一度火蓋を切ったが最後、全戦線が「能的の
気魄」をもって充たされていると言っていいであろう。