しかし大蛇も負傷したり殺されかかつたりして、永い月日を経て漸く海まで
水路を通す。
大阪では地震と共に、小さな海嘯があつて、木津川口の泊り船は半里以上も、狭い
水路を上手へ、難波村深里の加賀の屋敷前まで、押し流されて来た時の話である。
筏乗りが青竹の棹をしごくと水しぶきが粉雪のやうに散つて、ぶん流し、ぶん流し行く筏の
水路は一条の泡を吐いて走る白馬だ。
まだ夏には早い五月の
水路に杉の葉の飾りを取りつけ初めた大きな三神丸の一部をふと学校がへりに発見した沖の端の子供の喜びは何に譬へやう。
いつも世話になる大正池の
水路取入口で、山の様子を聞く。
利根川の下流、霞ヶ浦の末と相會する處、十六島は今ひとつに成りたれども、
水路縱横、烟霞縹渺、白帆相望み、漁歌相答へ、名たゝる三社、屹として水※に鼎立す。
水戸に遊びたるついでに、請ふ君、水戸市の北端、杉山より川蒸氣に乘りて、
水路三里、那珂川を下りて、大洗に遊べ。