しかしこう物騒な世の中ではあるが、田の中にいて雑草を抜いたり、
水車を踏んだりしている百姓は割合に落ち着いている。
水車の音と籾をひく臼の音が春の空気に閉ざされて、平和な気分がいたるところに漲っていた。
その麓に
水車が光っているばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懶さばかりが感じられた。
——たぶん、
水車の輪のぎいぎいまわる音を連想したからであったろう。
はて、何時の間に、あんな處に
水車を掛けたらう、と熟と透かすと、何うやら絲を繰る車らしい。
』先生はまじめに感心してそれで
水車の話はやんで幸ちゃんのうわさに移ッた。
青年は
水車場を立ち出でてそのまま街の方へと足を転しつ、節々空を打ち仰ぎたり。