没した の例文

没した の例文です。カジュアルな用途・伝統的な用途のそれぞれを知れます。


基本形→没す

「没した」の書籍での例文

汽車のなかには沼津の人が乗りあわせていて、三、四年まえの正月に愛鷹丸が駿河湾で沈没した当時の話を聞かせてくれた。
南方で戦没した陸軍の小野大佐の娘がこの小学校の先生をしていた。
放浪といふほどでなくとも、思ひだすと、なるほど八方に隠見出没した自分の姿に呆れないこともない。
長崎丸の船長で、長崎丸が機雷にふれて沈没したことに対し、責任をとつて自裁したのであつた。
表紙を本文に綴じ合せる方法は西洋では早く姿を没したが、日本ではそれが、洋風装本の渡来までそのまま存続していた。
丸辰流に言えば、その鯨の祟りを受けて、北海丸は沈没した
また、現存作家よりも晩く出て早く没した作家もある。
と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げるため、あるいは見慣れぬ黒人となり、あるいは舶来の草花となり、あるいは網代の乗物となり、しばしば同じ村々に出没した
それは天保何年かに没した曾祖父母の位牌だった。
創傷の径は約半糎、創底は頭蓋腔中に突入していて、周囲の骨には陥没した骨折もなく、砕片も見当らない。

「没した」のオンラインでの例文

没した場所にあった石碑が一箇所に集められているのはダムあるあるかもしれない。
定子の文学サロンはとても賑やかで、そういったことを好んだ天皇の寵愛を受けていましたが、定子の父、藤原道隆が没したときから風向きが変わります。
 機械的な二進法の中に埋没する世界の中で、人が人であるためには常に選ぶことを自分において引き受け、自らの意志としなければならない。
私の部屋がある2階も、水没するのは時間の問題でしょう。
その名の通り、毎回ちがう場所に出没するレストランのことを指します。
ソクラテス:アテナイ(今のアテネ)の街にちょっと変わったおじさんが出没するようになりました。

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