中でも「
浮雲」は、敗戦に対する日本人の偽りない心情告白の書として、後世にのこる意味をもっていると思う。
上州では高い空に白い
浮雲をみたのに、信州へはいっては一片の雲もみない。
「
浮雲い
浮雲い」と冷々しながら、伊太郎は娘を見守った。
別冊「歌日記」、余白なくなりたるを機会に、今日より新たなる冊子に詩歌を書きゆき、題名も新たに「枕上
浮雲」となす
わたくしはこの作を讀んで、曩き日の「
浮雲」の陰氣な曙光を顧るとともに、この度はそれがまた饐えた黄昏の光のやうであつたことを、私かに訝つたのである。
この作も「
浮雲」系統に屬するのであるが、こゝには、次の「平凡」と同じく、世紀末の黄昏と憂鬱とがその基調をなしてゐて、時代の色が濃やかににじみでてゐる。
二日置いて九日の日記にも「風強く秋声野にみつ、
浮雲変幻たり」とある。
それはまあただ文章の上だけの話でありますが、其から「
浮雲」其物が有した性質が当時に作用した事も中々少くはなかったように覚えています。
薄紅色の大空には、幾重にも千切れ千切れの薄緑の
浮雲が漂い、星がその後に瞬いて光っては消え、光っては消えた。