背中から腋の下へ斜に、
渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶっ込みの他に、鉄扇まで腰に差した。
允恭天皇が、皇后の室ほぎに臨まれた際、舞人であつた其妹衣通媛を、進め
渋つて居た姉君に強要せられた伝へ(日本紀)がある。
雲によって陽が翳るごとに路面に遊んでいる乳母車、乳母、子供、犬が路面ごと灰色の
渋晦を浴せられた。
道糸は秋田の
渋糸十五本撚りか二十本撚り、錘から上方三、四尺を一厘五毛柄のテグスにして、錘は自由に調節ができるように板鉛を使うのが便利である。
僕は番茶の
渋のついた五郎八茶碗を手にしたまま、勝手口の外を塞いだ煉瓦塀の苔を眺めていた。
其のわからねえ話を聞くために僕は毎晩小僧を訪れて一つしよに
渋臭い板間に坐つてゐた。
童子の背は
渋を引きたる紙の如く黒く、少娘の嬌は半躰を裸らわして外出するによりて損せず。