僕がまだ何とも答へない内に、氏の眼には忽ち前のやうな
溌剌たる光が還つて来た。
夏ほど魚が魚らしく、清奇で、輝いて
溌剌としてゐる時はない。
そこでは、常に、「
溌剌たる才気」がもつとも「約ましい姿」を見せてゐる。
必要な時に、必要な場所に、必要な人物のみを現はし、その人物が必要なことのみを云ひ、行ふことによつて、如何に戯曲の生命が
溌剌さを加へることであらう。
甚兵衛は朝からの戦いでかなり疲れていて、鎧の重さが、ひしひしと応えるのに、その男は軽装しているために、
溌剌たる動作をなした。
しかも、この数行において、淋しい湖畔における夫婦者の静寂な生活が、如何にも
溌剌として描き出されている。
まして釣は猶更のこと、その神秘な自然の深みへ没入して、初めて
溌剌たる魚を引掛け得るのだ。
虻や蜂があんなにも
溌剌と飛び廻っている外気のなかへも決して飛び立とうとはせず、なぜか病人である私を模ねている。
溌剌たる鯉の如きも、冬、爼の上に載するに、ぢつとして動かずと聞く。