瀬虫の旨味、わが天
瀧河畔の人々でなければ、知る者はあるまいと思うが諸君、騙されたと思って酒の肴に一箸やって見給え。
若しこれが昔であつたなら、恁う何日も賣れないで居ると、屹度、自分が平家物語か何か開いて、『うれしや水鳴るは
瀧の水日は照るとも絶えず、……フム面白いな。
それは最初の平民社當時、たしか共産黨宣言が發禁になり、
瀧野川の園遊會が禁止された時、記念のために撮影した堺・幸徳・西川・石川四人の寫眞であつた。
こゝは英雄の心事料るべからずであるが、打まけられる湯の方では、何の斟酌もあるのでないから、倒に湯
瀧三千丈で、流場一面の土砂降、板から、ばちや/\と溌が飛ぶ。
紅の梢を行く汽車さへ、轟きさへ、音なき煙の、雪なす
瀧をさかのぼつて、輕い群青の雲に響く、幽なる、微妙なる音樂であつた。
『東京に石の仁王あるは、雜司ヶ谷の鬼子母神と、田端の與樂寺と、
瀧野川の金剛寺と、戸塚の亮朝院と、こゝとのみなり』と夜光命説明す。
清水堂に擬して造りたる祇園閣の下に
瀧を設けて、夏の浴客を待ち、猿、鹿、鶴などを飼養して小兒の目を喜ばしむる玉川遊園地もあり。