過ぎ難い世を、少しでも善くしようと言ふのは、宗教や道徳の
為事であつても、凡人の浄土は、今少し手近な処になければならなかつた。
其頃はちようど、歳神を送る日に当るが、其日には鬼が来ると称し、針
為事を控へる。
けれども古代には、明らかに精霊の守護を考へたので、甚しいのは、霊魂の
為事に分科があるものとした、大国主の三霊の様なものすらある。
そして、記録が出来ると、伝承の
為事は、それに任されるやうになる。
中頃文事にふつゝかであつた武家は、黙つて色々な
為事をして置いた。
日本の太古の考へでは、此国の
為事は、すべて天つ国の
為事を、其まゝ行つて居るのであつて、神事以外には、何もない。
此だけを総括してみぶの職掌としてゐるらしいが、肝腎の
為事は、大湯坐・若湯坐にあるやうだ。
心に湧いてくる事は、今してゐる教室の
為事の内容などで、帽子をおとした彼の男に対する残念な心などは不思議にうすらいでゐた。
そこで
為事を終へるとなるべくかういふ処に来て身を暖め、食欲に飽かうといふ人々が多かつた。