すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、こんな
理窟を云い出しました。
他国者の才蔵が赤児をかかえて、寒い夜なかに江戸の町なかをさまよい歩いていたという、その
理窟が呑み込めなかった。
それは確かにごもっともの
理窟で、岡っ引は原則として自分だけの縄張り内を守っているべきである。
このことを考えてみれば、土地を私有する
理窟はますます立たないわけになるのです。
「鎖はわれわれを保護し、われわれを自由にする神聖なるものである、」というような意味のことを、難しい言葉や難しい
理窟をならべて、述べ立てている。
その時その時の自分を弁護するためにいろいろの
理窟を考えだしてみても、それが、いつでも翌る日の自分を満足させなかった。
なれども昔のお武家は御気象が至って堅い、孔子や孟子の口真似をいたして、頻に
理窟を並べて居るという、斯ういう堅人が妹に見込まれて、大事な一人娘を預かった。
もちろん樗牛全集の一巻、二巻、四巻などは、読みは読んでもむずかしくって、よく
理窟がのみこめなかったのにちがいない。