僕はまだ今日でも襟巻と云うものを
用いたことはない。
新らしい電灯を
用いて、旧い蝋燭を捨てず、そこに半七老人の性格があらわれているように思われた。
金物と云ってもやはり本物で、金は慶長小判、銀は二朱銀を
用いていましたから、あの小判が一枚あればなぞと涎を流して覗いているのもある。
「過去の業」という言葉はこういう不幸を比喩的に説明するために
用いられたのであろう。
現にカフィールの部落においては、貧乏という言葉と奴隷という言葉とが、同意味に
用いられている。
そして石手という地名は我々の間ではしばしば癩の隠語として
用いられるようになった。
これはその筈で、文治は品行正しく、どんな美人が岡惚れをしようとも女の方は見向きもしないで、常に悪人を懲し貧窮ものを助ける事ばかりに心を
用いて居ります。
父も祖父も、あまつさえ義兄弟まで、つまりバシマチキン一族のものといえば皆が皆ひとりのこらず長靴を
用いており、底革は年にほんの三度ぐらいしか張り替えなかった。