然し八十円の報酬に目がくらんで、
番人を希む者は絶えた例がないと言ふ。
当時食堂の二階は碁会所を開いてゐたから、碁席の
番人関さんだとか、元巡査山口さん、祇園乙部見番のおつさん杉本さん等々、額を集めて町内会議がひらかれる。
ある年の冬
番人を置いてない明別荘の石段の上の方に居処を占めて、何の報酬も求めないで、番をして居た。
そして自分は一人娘である以上、いずれは平凡な婿を取って、一生この餓鬼窟の女
番人にならなければなるまい。
卒業後、漁師の手伝い、養鶏場の
番人、炭焼きの手伝い、呉服屋の行商人などの職業を転々とする。
それを一々呼び起すと、かすかに返事をしたのは甚太郎と権十の二人だけで、
番人の七助と佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人はもう息が絶えていた。
こう云うと、今の人はなぜ
番人を付けて置かないのだ、さも無くば夜中は寺内に仕舞い込んで置けばいいと仰しゃるに相違ない。
「餓鬼らめが、くそッ! どこへうせやがったんだい! ド骨を叩き折って呉れるぞ!」
番人は樫の棒で、青苔のついた石を叩いた。
それからまた、上等の着物を着ている
番人を、じろじろ見ていました。