寧、仏家が一種の天部・提婆の道、即
異端の道として、「法」に対して「道」と名づけたものらしいのである。
この根本よりして幾多の複雑、
異端、多種、多様の実例が生ずるのであります。
僕に取つては大乘佛教の思想の眞に美しい部分はいづれも
異端の思想であるやうに思はれる。
そのころの小山内君はクリスチヤンであり、理想家であつたのですが、それでゐて
異端者らしい藝術家氣質が、遺傳の色に深く染まつてゐるやうに見えたのです。
現代の諸の方面の中で、純藝術の一面が頗る
異端視されてゐる。
西暦四百三十一年に開かれた、エフェスス(Ephesus)の宗教會議で、このネストリウスの見解は
異端として禁止された。
まつたく、そんなに永らく
異端の地で暮したものに、珍らしい話のない筈はない! あちらでは何もかもが異つてゐる。