だが、何よりも先に、神賀詞の内容や、
発想の上に含まれている、幾時代の変改を経てきた、多様な姿を見ることを忘れていた。
肯定と活動とを切に欲求する女性中のあらゆるものがその完全な
発想を得なければならない。
凡そ現代の如く個人主義がその完全な
発想をなすの機会を失ひ、健全なる状態に於て自から肯定する事を得ざる時代は人類の歴史以来初めてのことなのではあるまいか。
ここから論戦がはじまるけれども、井田信二の論法は
発想が根本的にちがうから論戦にならない。
だが、何よりも先に、神賀詞の内容や、
発想の上に含まれてゐる、幾時代の変改を経て来た、多様な姿を見る事を忘れてゐた。
此歌、意味から言うても、宮中にあつて、而も後宮に立ち入ることが出来ぬ場合でなくては、不適当な
発想を持つてゐる。
又「生ひば生ふべく……」とか「生えれば生える程に……」と訳してよい様だが、「生ひば」と言ふ条件式な言ひ方は、此文の
発想から言ふと、意味がないのである。
列座具通の幽愁の諷誦が、既に意識せられて居た抒情
発想の烈しさを静め、普遍の誇張から、自己の観照に向はせて居た。
旋頭歌の如き、単長歌の如き、或は短歌の類まで、皆此かけあひ・つけあひの
発想をば基礎にして居るのである。
もっと我々が静かに思い見る事が出来たのだったら、日本語が全く経験のない
発想の突発に、驚きのそよぎを立てていたかも知れないのである。