伊勢の斎宮に対して、後世賀茂の斎院のできたことからみれば、本来は主神に仕える
皇族女子のほかにも、有力な神に接する女王の巫女があったことは考えられる。
平安朝頃までは、天皇の御一族のことを王氏と言ひ、其に対して、
皇族以下の家を、他氏と言うてゐた。
出雲風土記のあぢすきたかひこの命の伝説は、
皇族以外にも貴種誕生には、同様の様式が考へられたことを示してゐるのだらう。
伊勢の斎宮に対して、後世賀茂の斎院の出来た事から見れば、本来は主神に仕へる
皇族女子の外にも、有力な神に接する女王の巫女があつた事は考へられる。
非公式でも、
皇族の訪問は虔まねばならぬ事であつた。
それで若し皇女が結婚なさる場合には、先、
皇族の籍を離れると言う形を採ると言うことになっていたのであろう。
上代
皇族の名に、まろ・まりなどついたものゝあるのは、まれとおなじく、尊・珍の名義を含んでゐるのかと思ふ。