味覚上天才を持っておったことも、一大
盛名を馳する第一の要素となっておったと見るべきだ。
かねがね神戸の「たぬき」といふおでん屋の菊正宗の
盛名を聞いてゐたので出かけていつたが、これも東京の菊正ビルや岡田の菊正にくらべると一ケタ違ひだ。
先生も以前は一かどの
盛名を得て、つまり知られざる天才ではなく、才能の処を得てゐられたやうです。
真言の印をさがすと、これに似たのがあるだろうが、イサム・ノグチ氏は米国に
盛名をはせる人、アメリカの人を相手に真言の奥義を解説しようということは考えられないナ。
諸国の碁天狗どもが参覲交替で上京の折に
盛名をきいて手合いに訪問すると、大そうなモテナシをうけるのはいいが、みんなコロコロ負かされてしまう。
彼が忽ち
盛名を負ったのは、当然の事だと云わなければならぬ。
女流の英文学者として一時
盛名を馳せたI夫人は在学中二度も三度も婚約の紹介を繰返したので評判であった。
先生と私は年齡の上では一歳しか違はないが、大學の年次は先生の方が五年も先輩で在學中から御
盛名は承つて居た。
支那囘教の研究の開拓者として
盛名ある Thiersant 氏はこれを二千萬乃至二千百萬人と算して居る(2)。