なおまた皆川蜩庵の書いた「木の葉」の中の「伝吉がこと」も「数年を
経たり」と断っている。
吉助「われら三年の間、諸処を
経めぐった事がござる。
「御
経を承わり申した嬉しさに、せめて一語なりとも御礼申そうとて、罷り出たのでござる。
検屍の結果、他殺暴行の形跡があり、犯行後四日を
経ていると判明した。
経には江戸三百年の風流を呑却して、万変自ら寸心に溢れ、緯には海東六十州の人情を曲尽して、一息忽ち千載に通ず。
その聴き去るに難き美しさは、この一書を綴るの労を厭わぬほどにして、正に宝積
経や源信僧都の往生要集の如きは、到底比すべくも非ずと思いたりき。
しかしながら本当に考えてみると、その人の生活に十分の醇化を
経ていないで、過去から注ぎ入れられた生命力に漫然と依頼しているのが発見されるだろう。
尤も当時は俄仕込みの薬屋をやつて居りましたから、正徳丸とか安
経湯とか或は又胎毒散とか、——さう云ふ薬の金看板だけは薬箪笥の上に並んで居りました。
されば「れぷろぼす」が大名にならうず願望がことは、間もなく遠近の山里にも知れ渡つたが、ほど
経て又かやうな噂が、風のたよりに伝はつて参つた。