井の中の蛙で世界はこれだけだと思うようでは、いつまでたっても、ものの
真価はつかめないのである。
日本料理の
真価というものがどこにあるか、ぶつかったこともなければ、気にもんだこともなさそうなひとたちばかりである。
繰り返して言ふが、こんな微細な片隅は末節であつて、小説の
真価はこんなところでは評価できるものではない。
だから、花田清輝の
真価を見たいと思つたら、もつと俗悪な仕事をさせてみることだ。
日本の学会に、その
真価が殆ど認められていないのは、甚だ遺憾である。
私がその中でも重要だと思うものを、彼もまた重要なもののなかに数え、その
真価と精神とを見事につかんでいるのを知つて、これ以上信頼すべき同志はないと思つた。
といふ意味は、前の二作だけではまだまだ、劇作家矢代静一の特色も
真価もはつきりしなかつたからである。
綜合雑誌の中に混っては埋れて個性的な感じを与へなかったのが、独立して、
真価を発するのを見れば、本来から、其種に別があり、雑誌向のものがあるような気がします。
功成り遂げてからといふならまだしも、坂田将棋の
真価を発揮するのはこれからといふ時であつた。