かくの如く、鯉坂君の選んだ研究題目は、未完成に終るものと、完成されるものとの二種類に分られましたが、いずれにしても、鯉坂君の
着想は頗る奇なるものがあります。
私のように、脳のうとい者には、
着想不可能であった。
春浪氏の著作中には、早くも今日の潜水艦や軍用飛行機などを
着想し、これを小説のなかに思う存分使用したのであった。
それ故、黒死館の
着想を、「モッツァルトの埋葬」から得たと云っても、過言ではないと思う。
私は、この一篇を、
着想といい譜本に意識しながら、書き続けたものだが、前半は昨年の十二月十六日に完成し、後半には、それから十日余りも費やさねばならなかった。
新秋に入ると共に私は新しい作の
着想や構図に思いを潜めた。
「草紙洗小町」は昭和十二年の文展出品作で、これは金剛巌先生の能舞台姿から
着想したものであります。
しかしどこか独自なところがあって、平生の話の中にも、その
着想の独創的なのに、我々は手を拍って驚くことがよくあった。
此等の同致を列記すれば際限あらじ、然れ雖余が此二作の意匠相似たりと言ふは、此等外部の同致のみにあらず、作家
着想の根本に入りて、理想の同致あるを認めたればなり。
感服に値いしないことはないが、これでは、後学者が発見に至るまでの
着想や推理や実験の順序方法について、貴ぶべき示唆を受けることは出来ない。