彼が最もよく世に
知られたのは、批評家としてゞした。
女学校を卒業すると、私は京橋の岡本家へ来たが、主人の父は当時、東京で名前の
知られた書家であつた。
これは京でも名を
知られた、北条屋弥三右衛門の本宅です。
遠州横須賀の徒士のものだった塙団右衛門直之はいつか天下に名を
知られた物師の一人に数えられていた。
三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、——三人とも本名は明さないが、その道では
知られた腕っ扱きである。
しかもおびただしい松葉を積みくべたのは、そのうず高い灰を見ても
知られた。
時は明治四年、処は日本の中央、出船入船賑やかな大阪は高津のほとりに、釜貞と云へば土地で唯一軒の鉄瓶の仕上師として
知られた家であつた。
それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を
知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になつてしまつたのです。
——色と言ひ、また雪の越路の雪ほどに、世に
知られたと申す意味ではないので——此は後言であつたのです。