意志にも感情にもそして自我の深奥にまで
知性の省察が行きとゞいてゐないのである。
文人囲碁会で僕ほどのタンデキ家はなかったのだが、その次が豊島さんで、豊島さんはフランス
知性派型などゝ思うと大間違い、僕は文士に稀れなタンデキ派と考えている。
これだけの幼稚な理窟も理解せられていない探偵小説界の
知性の貧困というものは言語道断と申さねばならぬ。
いはゆる良妻の如く、
知性なく、眠れる魂の、良犬の如くに訓練されたドレイのやうな従順な女が、真実の意味に於て良妻である筈はない。
知性はある種のことには実行力を、ある種のことには抑制力を与えてくれるものです。
共産党の傍聴記をよむと、真犯人があんな明朗な態度ではいられない、などと、彼らの言うところ、すべて理論以前の屁理屈で、ここにも
知性や近代を見ることができない。
わが国でも大正末期ごろにはそうした技法によって他人との接触面をカバーするような
知性がはやったこともあったが、今はそうではない。
ここでついでに、手が込んでいるわりにつまらないチェスなどよりは、地味な碁のほうが、もっと確実にもっと有効に、思索的
知性の高い力を働かせるものだと、断言しよう。