が、不思議にもその童児は頭を土へ落すどころか、
石のあった空間を枕にしたなり、不相変静かに寝入っている!
見上げると、もう橋の上には鮮かな入日の光が消えて、ただ、
石の橋欄ばかりが、ほのかに青んだ暮方の空を、黒々と正しく切り抜いている。
何しろ塗山の禹王廟にある
石の鼎さえ枉げると云うのですからな。
平太郎は知行二百
石の側役で、算筆に達した老人であったが、平生の行状から推して見ても、恨を受けるような人物では決してなかった。
勿論この得意な心もちは、煙管なり、それによって代表される百万
石なりを、人に見せびらかすほど、増長慢な性質のものではなかったかも知れない。
そうすると、塩のために、
石突きが
石のように固くなる。
こつちの岸の方が深く、川のなかには大きな
石が幾つもあつて、小さな淵を作つたり、流れが激しく白く泡立つたりしてゐる。
因州様などになりますと、四百両ばかりの御用金のかたに赤間が
石の硯を一つ下すつただけでございました。
されば身のたけも抜群なに、性得の剛力であつたに由つて、伴天連が「ぜんちよ」ばらの
石瓦にうたるるを、防いで進ぜた事も、一度二度の沙汰ではごさない。
「一幅淞波誰剪取 春潮痕似嫁時衣」とうたった詩人
石※翁をしてあの臼を連ねたような
石がきを見せしめたら、はたしてなんと言うであろう。