「ふる川の向う岸・こちら岸に、大きくなって立っているみぬまの若いの」と言うてくると、灌木や
禾本類、ないしは水藻などの聯想が起らずにはいない。
「私」といふ漢字は左の
禾から右の厶を書き、「ワタクシ」も右から左へ走つてゐるのだ。
「ふる川の向う岸・こちら岸に、大きくなつて立つてゐるみぬまの若いの」と言うて来ると、灌木や
禾本類、乃至は水藻などの聯想が起らずには居ない。
なかでもつい四五日まえに刈り入れの済んだ乾草が、
禾堆をなして並んでいる庭の草場は、またひとしおの暑さでありました。
もし又更に大方の士人、石敢当の出処を知らんと欲せば、秋風
禾黍を動かすの辺、孤影蕭然たる案山子に問へ。