三韓人はまた一方に、我が国が東方日出処にあるが故に、これを日本と称し、我が国でもそれを枕言葉として、「日の本のヤマト」なる
称呼が用いられた。
よしや穴住まいをしているものについての
称呼だとしても、それをむつかしく「山窩」など書いて、それが俗称になったとは思われない。
此だけの貧弱な材料からでも、総括することのできるのは、各地の
称呼の中には sus, nih 又は hot の語根を含むものゝ、最著しいことである。
そして、土地ではその橋の名を、詩人青秋氏の
称呼が始まりで、嘆きの橋と呼んでいるのだ。