稲田や芋畑のあいだを縫いながら、雨後のぬかるみを右へ幾曲りして登ってゆくと、その間には紅い彼岸花がおびただしく咲いていた。
今日こそはと大勇猛心を出して、お鉄の不在を幸いに、裏庭から崖を降りて
稲田伝いに福田村の方へ出ようと考えたので有った。
間四里、聞えた加賀の松並木の、西東あっちこち、津幡まではほとんど家続きで、蓮根が名産の、蓮田が
稲田より風薫る。
稲田の上を渡ってくる涼しい夜風が紳士の熱した額を快く冷した。
この戦場は弾琴台と云って、
稲田多く、馬を馳らせるのに不便な処であった。
この朧気川は山の断崖に沿うて流れたり、
稲田のあひを流れたり、また支流を合したりして、尾花沢の朧気といふ部落を経て東へ向つて流れ、それからやうやく南へむかふ。