続き、上下におよそ三四十枚、極彩色の絵看板、雲には銀砂子、襖に黄金
箔、引手に朱の総を提げるまで手を籠めた……芝居がかりの五十三次。
小田島は「やあ」と日本語で云って仕舞った——イベットの服装は襞がゴシック風に重たく括れ、ラップの金銀の
箔が警蹕の音をたてて居る。
義満の金閣寺に真似て、銀閣を東山に建てたが、費用が足りなくて銀が
箔れなかったなど、有名な話である。
旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の
箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。
舊記によると、佛像や佛具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の
箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に賣つてゐたと云ふ事である。
しかし
箔のついた次男どのには、飛だ蝶々、菜種の花を見通しの春心、納戸で爪を磨がずに居ようか。