これを書きだしたのは昭和十一年の暮で、この年の始めに私はある婦人に
絶縁の手紙を送り、私は最も愛する人と自ら意志して別れた。
持統天皇は藤原遷都によつてこの勢力との
絶縁を志して果し得ず、奈良の遷都によつて始めて
絶縁に成功した。
今ではもう国民の生活とは
絶縁したどこかの原ッぱで、闇試合が行われているようにしか思われない。
此世紀の生活からさへ
絶縁された、森の奥の、陰鬱な僧房に住みふるした学僧だとは思はぬかもしれない。
その大きなガラスの箱は、すごく大きな
絶縁碍子の台の上にのっている。
けれども彼等は本質的にはるかに人目を怖れており、私生活の主要な部分は特別細心の注意を払って他人から
絶縁しようと腐心している。
当然坂田の名人自称問題は紛糾をきはめて、その挙句坂田は東京方棋士と
絶縁し、やがて関東、関西を問はず、一切の対局から遠ざかつてしまつた。
爾後五年の間、彼は全く本國から
絶縁されて、僅々三十餘人の部下と共に、疏勒に留まつた。