「お寺さん」という
綽名はそれと知らずにつけられたのだが、実は寺田の生家は代々堀川の仏具屋で、寺田の嫁も商売柄僧侶の娘を貰うつもりだったのだ。
幼いとき、小学校の「山羊」という
綽名のある校長さんから、面白いお伽噺をして貰ったが、その中で、最もよく覚えているのは、こんな噺であった。
「園部さん、窓をあけてよ、暑いわ」みどりが「お狐さん」と
綽名されているすこし上り気味の腫れ瞼をもった眼を、苦しそうにあげて云った。
そして、先生は「三ツ口」といふ
綽名だけが頭に残つてゐる。
御熊野横町の名は昔から呼び習わしていたのであるが、近年は更に羅生門横町という
綽名が出来た。
お化け師匠の
綽名はそれから産み出されたのであった。
「学者ぢやないけれど、金どんはあんまり生物識を振まはすから、丸善ぢや学者つて
綽名がついてゐるんだよ。
一年程經つてから、白井樣の番頭を勤めてゐた人の息子で、薄野呂なところからノロ勘と
綽名された、十六の勘之助といふのが、源助さんに弟子入をした。
平生から氣の合はない同僚を、犬だの、黴菌だの、張子だの、麥酒罎だのと色々
綽名をつけて、糞味噌に罵倒する。
で、業平橋に住居して居りました処から業平文治といいますか、乃至浪島を誤って業平と申しましたか、但しは男の好いところから斯く
綽名いたしたものかは確と分りませぬ。